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植物工場から有機農業まで:食糧問題に立ち向かう日本の若きアグリプレナーたち

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「リバネス、入ってる」植物工場が日本全国で続々と稼働中
リバネスでは、新潟や沖縄(写真)などの大規模な植物工場のほか、サブウェイのような飲食店から病院、学校にまで、さまざまな規模の人工光型植物工場の導入を年に15件ほどサポート。シンガポールや中国などへの海外進出も始めている。現在は植物工場の養液の中で食用のエビを養殖する実験を進めているとか。

食糧がないと生きていけない。だからビジネスになる!

「いまの植物工場ブームは、ぼくらのおかげだと思ってますよ。2010年にサブウェイが“店産店消”を謳って丸ビルの店舗に植物工場を併設したことで、テレビ取材が殺到。それが流行のきっかけになったんです」

科学を核にした多彩な事業を展開するリバネスの代表・丸幸弘は、世界で最も日本の技術が進んでいると言われる人工光型の植物工場を、さまざまな企業と組んで導入し普及させている、いわば植物工場の伝道師である。東大大学院在学中に同社を立ち上げた丸は、04年ごろに出合った植物工場の技術がなぜ流行らないのかに疑問を抱き情報を集めたところ、体系的にビジネスにしている企業がないことを確認。チャンスと見るや、植物工場ビジネスに参入した。

「院では分子生物学専攻でしたが、栽培学も副専攻していました。あるとき遺伝子をいじくるよりも、農作物を育てるほうが根本的なことに気がついたんです。農業で何か社会貢献できたらいいなって。で、最初は田植えもやりましたが、農作業って大変じゃないですか。ところが室内水耕栽培を研究したら、生長が早く収量も圧倒的なんです。これだ!と思って調べてみると、技術自体は40年以上前からあるのに全然普及してない。これしかないと思いました」

そこから植物工場の情報収集と技術開発を開始した同社は、知見とノウハウを武器に企業の植物工場ビジネス参入をサポート、現在、年15件ほどの新設を手がけている。

「まずは市場形成ですね。ぼくは、近い将来の食糧危機を解決するために、すべての企業が食糧ビジネスに参入する時代がくると思ってます。そのためには技術を囲い込んではダメで、実際ぼくらは技術やハードをオープンにして提供しています。それで植物工場が普及すればいい。ぼくらはノウハウを提供することで、あらゆる植物工場の中に『リバネス、入ってる』というふうになっていければいいなと思ってます」




さまざまな苦労と収穫があったインドでのイチゴ工場
イノプレックスにとって、初の海外での植物工場導入事例となったのが、写真のインド・バンガロールでの太陽光型植物工場(2010年)だ。インドの現地企業と組んで建設したイチゴを栽培する工場に関しては、インド人一般家庭の食卓などにも深く入り込んで市場調査、試行錯誤を繰り返したという。

最先端の農業技術を世界中から集約

丸が普及に尽力する人工光型植物工場をはじめ、欧米が技術をリードする太陽光型植物工場など世界中の最先端の農業技術を調査し集約、それを企業に提供するビジネスを展開するのが、NPO法人イノプレックスだ。代表理事の藤本真狩も大学院在学中に起業したアグリプレナーだ。

「京大大学院在学中に企業と大学との橋渡し役をやっていて、そこで植物工場のヴェンチャー企業と出合いました。ほかにも幅広い技術を扱っていたんですが、企業から『植物工場をやりたい』という要望が多かったのでこれはビジネスになるぞと、植物工場技術などの先端農業技術の調査を進めることになりました。国内の大規模植物工場が稼働し始めた2007年ごろの話です」

現在は世界100社以上の先端農業技術をもつ企業を調査し、その情報を国内外約300社の企業に提供、農業ビジネス参入へのサポートを行うイノプレックス。最近は海外からのオファーが増えているという。

「Facebookで植物工場の様子をアップすると、『それをやりたい』という依頼が海外からくるんです。現在太陽光型植物工場を運営中のインドの事例は、それがきっかけでした。国内企業からも『海外で植物工場を』という依頼が増えていて、マレーシアでは人工光型植物工場を手がけました」

実は、同社のように世界中の農業技術をくまなく調査する企業は、世界的にも珍しい存在だという。だからこそ、海外からの依頼が続々と舞い込んでくるのだ。

「特に途上国に注目しています。アジアやアフリカの農業はまだ技術的に未熟な状態ですが、だからこそビジネスチャンスがあるし、結果的に途上国の発展を手助けできます。例えばアフリカで内戦が起こった場合、太陽光発電できるコンテナ型の人工光型植物工場を送り、そこでワクチンタンパクを生成できる小麦をつくる。現地の人がそれを食べることで感染症予防になり、ワクチン接種が不要になる。さらにトイレを併設して糞尿を養液に利用する。そんなゼロエミッションでできるサステイナブルな農業を展開したいですね。食糧危機では、都市部や途上国で植物工場のニーズが高まるはずです。そのときのために最新技術を集めて、各企業と連携してオープンイノヴェイション的に活用していきたいですね」


ヴェトナムでのひとり農業からバンガロールでの起業へ
ヴェトナムのピザ店「Pizza4P’s」と契約し、9カ月間で生食用のトマトを栽培するプロジェクトを任された高井。農地探しから、まさにゼロから始めた農業で結果を出したことが、バンガロールでの起農へとつながった。ヴェトナムでの奮闘の模様(写真)はブログ「ベトナム農業奮闘記」に詳しい。

途上国でゼロからの起農を目指す

途上国の発展を、という藤本と同じ目的をもつのが高井佑輔だ。ただしこの男、北大大学院を中退したばかりの弱冠25歳。高井はこの夏インドのバンガロールで起“農”すべく、国内で資金稼ぎの最中だという。

「在学中から漠然と起業を考えていたんですが、ものが不足しているアジアの国を変えたいと思い立ち、昨年休学してヴェトナムでの研修プログラムに参加しました。現地のピザ屋で働くことになったんですが、オーナーから『野菜を自前で育てたい』と言われてひらめいたんです。『ぼくがやるしかない!』って。その後一旦帰国して農業の勉強と農家での研修をし、ヴェトナムに戻ってトマトをつくり始めました」

高井は農地探しから始め、悪戦苦闘の末、9カ月間で生食用として提供できるレヴェルのトマトを栽培することができたという。

「土をいじって植物に触れるうちに、農業の魅力に引き込まれていきました。そしてものも技術もない環境でゼロから起農することに強く生き甲斐を感じたんです。その後はアジアを放浪し、バンガロールで農業を始めようと決心しました。東南アジアは水も緑も豊かですが、バンガロールは水も不足しているし、土地の生産性もアジアでも最低水準。だからこそここで始めようと」

現在は資金を稼ぎつつ、農業技術の勉強や研修の日々を送る高井。バンガロールには、何とこの夏赴く予定だという。

「何事もスピードが大事だと思っているので、早く動きます。だってやってみないとわからないですよね。そこで現地の人々と一緒に汗を流しながら、現地の特性に合った農業技術を伝えたいと思ってます」


25,000平方メートルの「三つ豆ファーム」で40種類以上の無農薬野菜を栽培中
家族経営による「三つ豆ファーム」では、無農薬にこだわった旬の有機野菜のみを栽培。安心で安全、おいしい旬の野菜を食べたい人は、野菜宅配サーヴィス「東峰べじたぶるん」か、都内各地で開催される「アースデイマーケット」で。

都市と農村の交流を促進

高井がインドでの起農を目指す一方、インドでのある経験がきっかけで、日本で農業を始めたのが山木幸介だ。山木も大学院での研究者という立場から、千葉県山武市の有機農家へと転身した新規就農者だ。

「大学院修了後にインドに行って死にかけたことがありまして、そこで人生観が変わりました。いい学校行っていい会社入って、という考えがばからしく思えて、何か人の役に立てる仕事がしたいと思ったんです。大学では水や微生物の研究をしていたので、それを生かせて自分も成長できるのは農業かなって。それで帰国後『新・農業人フェア』に行ったときに、成田にある有機野菜の『生産者連合デコポン』の研修プログラムを見つけて参加したんです」

1年間の研修終了後、幸運にも先輩農家から畑を借りることができた山木は、3人のチームで野菜づくりを始めることとなる。

「初年度は散々でしたが、でもせめて3年は続けようって。すると経験って大事で、日々知識が蓄積され、収穫量も増えていきました。その間知人の農家と宅配サーヴィスを始めたり、毎月東京のマーケットに出店したりしてきました。関東で始めたのは、都市と農村の交流をやりたかったからです。都市生活者にとって農村は、単なる食物の供給元ではなく、癒やしや学びを与えてくれる価値のある場所だと思うんです。そこでの交流を通じて、都会の人に農業についてもっと知ってもらいたいですね」

就農して9年、現在では農業体験イヴェントを開催するほか、新規就農者への農業指導なども行う山木。夜明け前に起床する忙しい毎日が続くが、「無駄なストレスがないので休みが欲しいとも思わない」と言う。

「農業問題についていろいろ言われてますけど、農家の高齢化は、ぼくにとってはチャンスでしかない。そんなチャンス感が増えれば、もっと若者が農業に入ってくると思います。実際、最近はたくさんの若者が新規就農しています。彼らとはSkypeで勉強会をやってます。ITは農家をネットワーク化したり、個人の経験でしか培えなかった農業技術をデータ化するのに役立つので、若い人たちは、ぼくらなんかよりずっと早く成功できる環境にあると思いますよ」



四者四様ではあるが、若き起農家たちに共通するのは、来るべき食糧問題を解決したいという根源的なヴィジョンだ。丸は語る。「有機農業も植物工場も、何がゴールかと言えば、食糧の安定供給なんです。だからこそ若い人たちがお互いを認め合って、共通目標に向けて一枚岩で動いていくこと。それが社会を変えていく力になるんです」。

ならば日本の農業界を揺るがすと言われているTPPの問題について、彼らはどう考えているのだろうか。丸は「食糧はボーダレスですから、賛成とか反対とか言ってること自体に意味がない」と断言し、藤本は「国内農業の衰退は目に見えているわけで、内から変化を起こすためには大きな外的ショックが必要。参加は当然で、そこからグローバルな競争力をつけていくしかない」と分析。高井も「日本の野菜のおいしさや安全性を、消費者はよく知っていますよ」と賛成の立場を取る。農家の山木ですら「食べ物の絶対的な価値は変わりようがない。食わなきゃ生きていけないですし。需要と供給のバランスで適正な価格はつくし、農地があってぼくが元気であれば大丈夫だと思います」と力強く答えてくれた。

食糧がなくては人は生きていけない。丸の語った以下の言葉が、農業ビジネスの可能性を示唆しているのではないだろうか。

「世の中からなくならないものは、必ずビジネスになります。だからこそわれわれは、農業ビジネスに参入しているんです」

高井佑輔 │ YUSUKE TAKAI(25歳/起農家)-左
1988年群馬県生まれ。2007年北海道大学農学部入学、11年同大学院農学院応用生物科学科へ。12年に休学し、ヴェトナムのピザ店「Pizza4P’s」での長期インターンにて、ゼロベースからのトマト栽培を成功させる。13年に大学院を中退し、夏にインドで起農予定。

丸 幸弘 │ YUKIHIRO MARU(35歳/リバネス 代表取締役CEO)-中央左
1978年神奈川県生まれ。2001年東京大学大学院農学生命科学研究科に入学。02年在学中に理工系大学院生のみで科学教育事業を行うリバネスを設立。以来、研究開発型ヴェンチャーのユーグレナの技術顧問ほか、数々の企業の立ち上げおよび経営に携わる。

山木幸介 │ KOSUKE YAMAKI(36歳/三つ豆ファーム 代表・農家)-中央右
1977年茨城県生まれ。筑波大学大学院バイオシステム研究科修了。2005年千葉県山武市にて「三つ豆ファーム」を立ち上げ新規就農。現在は卸のほか「東峰べじたぶるん」で無農薬野菜の宅配サーヴィスや、東京の「アースデイマーケット」への出店などを行っている。

藤本真狩 │ MAKARU FUJIMOTO(31歳/NPO法人イノプレックス 代表理事)-右
1982年福岡県生まれ。2007年京都大学大学院医学研究科入学。在学中の08年、主にメディカル・バイオ分野の最先端技術調査と技術戦略経営のコンサルティングを行うNPO法人イノプレックスを設立。11年アーバンファームファクトリー取締役に就任。

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